東京家庭裁判所 昭和41年(家)7679号 審判 1966年10月29日
申立人 チャールス・ビー・テーラー・ジュニア(仮名) 外一名
未成年者 ジャクソン・ケリー・オース(仮名)
主文
申立人ら夫婦が未成年者ジヤクソン・ケリー・オースを養子とすることを許可する。
未成年者は、この縁組にもとづいて、申立人らの姓である「テーラー」(TAYLOR)を名乗るものとする。
理由
一、申立人チャールス・ビー・テーラーは一九四〇年一〇月三日アメリカ合衆国ニュージャージー州で出生した合衆国市民で、カリフォルニヤ州立大学を卒業後しばらくして同州ポート・ユーニミ市に居住して市役所に勤めたが、一九六五年七月米軍附属の民間団体たるU・S・O(海外派遣の軍人に対する慰問主催、観光案内等のサービスをする団体で、ニューヨークに本部がある)の○○○部長として来日し、ついで○○○部長をも兼ねているもので、一九六七年七月まで日本滞在の予定である。申立人ヴェラ・エレン・テーラーは一九四二年六月一八日アメリカ合衆国カリフオルニヤ州で生れた合衆国市民(婚姻前の姓ノヴァク)で、一九六一年六月二九日同州フレスノ市で申立人チャールス・ビー・テーラー・ジュニアと婚姻し、同申立人とともに長男マック・チャールス(一九六三年三月四日生)を伴って来日し、東京に居住し、一家は目下東京都練馬区○○○町七二七番地に居住している。他方本件の未成年者たるジャクソン・ケリー・オースは、日本横須賀基地駐留のアメリカ合衆国海軍軍人ハワード・エイチ・オース(ミズリー州出身)の妻クリスティ・アイ・オース(一九六一年一〇月七日ミズリー州で婚姻し、夫婦はイリノイ州にホームを設けたが、夫は軍人として海外に派遣され、妻は同州に残留したのち、一九六五年一一月夫婦ともに日本へ来たもの)の非嫡出の子として一九六六年三月一七日横須賀市内の米海軍病院内で生れ、同月二〇日実母およびその夫の同意のもとに申立人らに引き取られたもので、申立人らはこの未成年者を養子としたいため、一九六六年七月二五日当裁判所に養子縁組許可の申立をしたものである。
このように本件未成年者はアメリカ合衆国市民であって、その本国法上の住所(ドミサイル)は母のドミサイルに一致するので、合衆国イリノイ州にあることとなり、従って日本にはそれがないこととなるが、出生以来引き続いて日本(一九六六年三月二〇日申立人らに引き取られた)に居住しているものであるから、日本の法制上の住所と同視し得べき居所が日本にあるものということができ、また、申立人らは前記のように一九六五年七月から日本(東京)に居住しているものであるから、日本の法制として、これが養子縁組事件について日本の裁判所が裁判権を行使することができ、かつ、その管轄は当家庭裁判所に属するものということができる。
二、つぎにこの養子縁組の実質につき審査するに、申立人らの本国法たる、申立人らのドミサイルのあるアメリカ合衆国カリフォルニヤ州の法律および未成年者の本国法たる、未成年者のドミサイルのあるイリノイ州の法律の定める各縁組要件は本件縁組につき適法に具備しているものと認められる。また、申立書に添付してある、社会福祉法人日本国際社会事業団(その事業の一として、児童の福祉の増進についての相談に応じ、国際間の養子縁組、個人、家族の諸問題解決への援助を行う)の家庭調査概要(ワーカー・スチュワー卜担当、一九六六年二月一〇日事務所面接)その他の書類、当裁判所の嘱託による前記社会福祉法人理事長松田竹千代の「ジャクソン・ケリー・オース同居後の状況報告書」、同添付の米空軍病院立川所属ロバート・H・フイッシャー大尉の医学的診断書(本件未成年者に対するもの)および当裁判所の審問期日(期日二回)おける審問の結果によると、この縁組を形成させることは未成年者の福祉を図るうえにおいて相当であると認められる。よってこの縁組を許可すべきものとする。
(この許可裁判にもとづいて成立する養子縁組の効力は、日本の国際私法たる「法例」の定めることろにより、養親の本国法たるカリフォルニヤ州の法律に従うこととなる。)
三、なお、養子が称すべき姓の点については、日本の法制では「縁組の効力」に該当すると解せられるので、本件においては結局カリフォルニヤ州に従うべきものとなるところ、同州の養子縁組法では「養子は養親の姓を名乗ることができる」と規定され、養子縁組裁判の際に決定されるべきものとされている。よって当裁判所はこれに準じて本件未成年者の姓の変更についての裁判を附加することとし、主文のとおり審判する。
(家事審判官 野本三千雄)